斉藤さんとの出会い — 私が株式投資を始めた原点
2025年の今から、ちょうど25年前。
私がまだ若かった頃に出会った一人の男性がいます。
名前は斉藤さん。同年代で、静かながらも印象に残る方でした。
当時の斉藤さんは、海外で建築デザイナーとして働いていたそうですが、
お母様が難病を患い、介護のために日本に帰ってこられたとのこと。
正直に言えば、その頃の私は斉藤さんの苦労を、
「自分とは関係ない」と感じていました。
できれば深く関わりたくない…そんな距離感を持っていました。
不器用だけど、地頭の良い人
斉藤さんは、とても不器用でコミニュケーションが下手な人でした。
思ったことをストレートに言ってしまうので、
場の空気がよく“シーン”と静まり返ってしまうこともしばしば。
もし今の時代なら「発達障害」の一つと診断されるのかもしれません。
でも、それはあくまで私の勝手な想像です。
けれど、そんな彼にも素晴らしいところがありました。
本が大好きで、株式投資についても独学で熱心に勉強していたのです。
私たちのご縁は、当時の企画がなくなったと同時に遠のいていきました。
申し訳ないですが彼の存在は「変った人」という意味で残っていました。
あの日の一本の電話
2011年3月11日。
東北で大震災が起き、日本中が大きな衝撃に包まれたあの日。
なぜ私に?と思いながらも、斉藤さんから電話がかかってきました。
「お元気ですか?」と。
久しぶりの声に驚きながらも、私はこう答えました。
「ご無沙汰しています。お母様はお元気でいらっしゃいますか?」
斉藤さんはこう語りました。
「母は2008年に亡くなりました。
3.11の震災時、株価が暴落して、資産も一気になくなってしまって…
もう、この先どうやって生きていけばいいか分からなくて…
気づけばwasakoさんに電話をしていました。」
偶然にも、私の母も2008年に亡くなっており、
その時の寂しさ、喪失感を私は痛いほど理解していました。
暗い夜にこそ星を見上げるように
「斉藤さん。
暗い夜(心が沈んだ時)こそ、星がきれいに見えるって誰かが言っていました。」
私も同じように、母がいなくなり夜空を見上げて涙を流していたこと。
「この星はお母さんかな」って。優しい光に包まれるかのように
そんな想いを静かに伝えると、斉藤さんは電話口で嗚咽しながら泣いていました。
「もう株はやめたい。母のもとに行きたい。」とまで語った斉藤さんに、
私はこう伝えました。
「地震は斉藤さんのせいじゃないよ。
きっとこの経験と損失は“授業料”です。
もう一度、やってみませんか?応援します。」
正直、根拠なんてありませんでした。
ただ、心の底からそう思ったんです。
3年後、今度は私に転機が訪れる
それから3年が経ち、今度は私の人生が大きく揺らぎました。
父の介護が本格化し、仕事も不安定に。
不安で眠れない日々の中、ふと思い出したのです。
「そういえば、斉藤さん…介護しながら株式投資してたな。」
藁にもすがる思いで、私も投資の世界に飛び込むことにしました。
でも現実は厳しく、いくつかのスクールに通ったものの、
追加料金がどんどん増え、質問もしづらく、
気づけば数百万円の損失を出していました。
そこで、私は勇気を出して、再び斉藤さんに電話をかけました。
「斉藤さん、お元気ですか?実は、私も株をやってみたんですけど…」
すると、斉藤さんが笑いながら言いました。
「wasakoさん。
あのとき“Try again”って言ってくれたおかげで、
僕、今では震災前の資産の何十倍にもなってますよ。
今度は、僕がwasakoさんに教えます。」
スカイプ越しに始まった、私の“再挑戦”
当時流行っていた「スカイプ」を使って、
斉藤さんは毎週、私に株の基礎をマンツーマンで教えてくれました。
その指導は、まさに「やさしい株のお勉強」そのものでした。
- 私のレベルに合わせて
- 私の性格に寄り添い
- 私の生活リズムに合わせて
ゆっくり、確実に、理解できるまで待ってくれました。
そして私は、初めて「自分の軸を持った投資」ができるようになったのです。
最後に
今、私はこの経験を活かして、
同じように「人生に不安を感じている誰か」に
小さな勇気を届けられるような活動をしています。
もしかしたら、あなたにも転機が近づいているかもしれません。
それは、ある日突然、何気ないご縁や会話の中に現れることもあります。
あなたの「Try again」のきっかけになりますように。
そんな想いを込めて、このブログを書きました。